競馬におけるwebの縦進性についての話など

また、SeaBirdさんの記事からネタを拾う。
嵐猫/頭を使え
で取り上げられている次の記事。
白線の内がわ - ホースニュース休刊に思う
競馬場での観戦ならばレーシングプログラムさえあれば十分であると思ってます。私にとっては専門紙だろうが日刊紙だろうが競馬場への到着が遅くなってレープロが手に入らなかった場合にその代用としての価値しかありません。
単純な話、作る側が一般紙とは違うという気概を持っていても、購入者にそれだけの利を提供できないならば無価値ですよ。
さて、webの話。

もう1つよく聞くのが、「WEBで情報を得るので、専門紙自体が不要である」という声。ただ、みんながみんなパソコン抱えて競馬場へ行く訳ではないだろうし、また自宅でPAT購入するといっても、画面にはそのレースの出走馬すべての馬柱を、同時に見渡せるほどのスペースはない。一目で視野に入れることで見えてくるものは実に多いと思うのだが・・・。

必要な情報だけを抜き出して比較するにはPCで扱うのが便利。同時に見渡せないということがそれほど問題になるようには感じていない。

それに、「手で実際触っている」ということからくる、所有感の手応えはどうなってるの?競馬だけではないけれど、情報のような無機物にすら手触りはあるのだ。これを感じないでどうするのか?

所有感については同意するが、直接関わっていないとはいえ同業の発信者の立場でこのような言い方をするのは傲慢と思える。専門紙によって提供される情報にその価値が無いと判断されてしまったということを理解しているのだろうか。

いずれにせよ、日本の専門紙の馬柱は、世界に類を見ない密度を誇る。これが印刷物として我々の手許に届かなくなる日が来るとは思いたくない。

これも思い上がりではないか。
確かにPCのディスプレイ上に一度に表示できる情報量は紙面と比較して劣るだろう。だが、webはハイパーリンクというその特性により関連する情報に容易にアクセスできる。私的な経験からの話になるが、印刷媒体が決定的にwebに太刀打ちできないのは血統情報かと思われる。五代血統表、牝系図、父の種牡馬実績、母の繁殖成績その更に深いところ…様々な情報の全てを必要とするわけではないが、その一部をどうしても参照したいときが存在する。そしてそれは常に同じ種類の情報というわけではない。webにおいてこれらの情報は容易に得ることができるが、紙面では不可能だ。必要とする情報のニーズは多様であり、紙面上にそれら全てを網羅することはまずできない話であるし、実現したとしても携帯性、検索性に難を生じることになる。
情報の密度ならば専門紙の紙面は優れているのだろう。一方webは情報の絶対量と必要とする情報種へのアクセス性において専門紙を凌駕できる。そしてこのような絶対量の前では密度など些細な問題とされても仕方が無い。

これはホースニュースがどうこうということではなくて一般論だが、厩舎に出入りしてコメントを聞き出すということの意味や価値が、もはや低下しているのかもしれない。「良い事しか言わない厩舎コメント」「批評を許さない厩舎、コメントをありがたがるあまり、それに甘んじるマスコミ」が愛想をつかされているのなら、方向性を変えることも必要なのだろう。

この部分には同意する。専門紙とwebが対立するとも思っていなくて、専門紙はweb上では入手しにくい記事を提供すれば良いだけと思う。単純な情報ではwebで事足りるのだから、そこから踏み込んだ価値のある記事を提供できれば、専門紙の存在に意味が生じる。現状、それがあるようには思われないというのが問題だろう。例えば記事内でも触れられているが、レース前の厩舎のコメントなぞ参考になると本当に思っているのだろうか。それはわざわざ専門紙を購入してまで確認しなければならない情報だろうか。自身で指摘しているように競馬ファンのニーズを外しているから売れないのであって、それを競馬ファンの姿勢のせいにするのはどうかと。
結局のところ日本において競馬に関係するマスコミがあまりにも予想と馬券に偏りすぎたというのが重大な問題ではないのか。どうやったら的中するのか、より高額な配当を得られるのか。競馬の楽しみをそんなものに矮小化させた結果が今回の事態を引き起こしているのではないかな。