南アフリカ競馬の紹介その1:前置き

はじめに

南アフリカはICSCによってパート1国に格付けされていますが、日本の競馬とは縁の薄い国です。去年、エンターブレインから発売されたムック「競馬血統入門」においてはパート1国でありながらも、世界のリーディング等で取り上げて紹介されていませんでした。パート1国で馬産がそれなりの規模で行われているにもかかわらずこのような憂き目にあったのは、南アフリカとペルーの二ヵ国でした。

Case of Oceania

同じ南半球でもオセアニアには身近な印象を持たれます。オーストラリアやニュージーランドは日本との間でシャトルサイアーが行き交い、最近は少なくなりましたが競走馬の遠征も行われています。オーストラリア産馬はイギリスなどに遠征して活躍するスプリンターにも事欠きませんし、香港やシンガポールにとってはオセアニアが競走馬資源の主要な供給元でもあります。ジャパンカップならばその初期にニュージーランドホーリックス(Horlicks)、オーストラリアのベタールースンアップ(Better Loosen Up)がそれぞれ勝っています。

Case of South America

南米競馬は北米との関係が深いため、そちらに興味のある方にはなじみ深いでしょう。チリ産馬のリドパレス(Lido Palace)やトータルインパクト(Total Impact)は北米に移籍して成功し、ジャパンカップダートにも出走しました。南米でパート1に格付けされているのはアルゼンチン、ブラジル、チリ、ペルーの4ヶ国です。これに続くのがかつてパート1だった時代があるウルグアイとなっており、インヴァソールInvasor)はアルゼンチン産馬としてウルグアイの三冠を制し、後に北米に移籍して活躍しました。馬産においても南米産馬の存在は重要であり、アルゼンチンで四冠馬となったフォルリForli)はヌレイエフ(Nureyev)の母の父、サドラーズウェルズ(Sadler's Wells)の祖母の父などとなり、現在の血統表にその名を刻んでいます。日本においてもアルゼンチン産馬の影響はあり、日本に入った種牡馬としてアルゼンチン産馬のエルセンタウロEl Centauro)がいますし、サンデーサイレンスにしてもアルゼンチンに渡ったハイペリオンHyperion)の血を母系から受け継いでいます。近年ではディアデラノビアを出したポトリザリスがアルゼンチン産馬でした。

Case of South Africa

こうした競走馬及び繁殖馬の交流が南アフリカとの間ではほとんど存在しないのは事実です。日本からでならばアドマイヤメイン南アフリカに渡っており、2012-13シーズンに当地での初年度産駒がデビューしました。また、直接の関係ではありませんが、オーストラリアにシャトルされたフジキセキの産駒にサンクラシーク(Sun Classique)が現れると南アフリカの3歳戦で台頭し、ついにはドバイシーマクラシック(Dubai Sheema Classic)を勝つところにまで至りました。オセアニア南アフリカにとっても競走馬資源の輸入先です。このSun Classiqueの活躍に前後して、ジェイペグ(Jay Peg)、ジェイジェイザジェットプレーン(J J The Jet Plane)などの南アフリカ産馬が国外で活躍しています。
南アフリカからの国外遠征には検疫の問題が付きまといます。最近でもウエストナイルウイルスの流行があり、南アフリカからの馬の検疫が厳しくなっています。このため今年のドバイで出走したシアシア(Shea Shea)、イググ(Igugu)、ジアパッチ(The Apache)などは1年のブランクを経験することになってしまいました。
南アフリカ産馬で北半球の血統表に名を刻んでいるのはハワイ(Hawaii)です。南アフリカ年度代表馬となったあと北米に渡り、そこでも芝で活躍して芝王者となっています。種牡馬としてダービー(Derby S)を勝つヘンビット(Henbit)などを出しました。後代への影響はヘネシーHennessy)の母父となったことが大きな要因です。近年では南アフリカで三冠を達成したホースチェスナット(Horse Chestnut)が北米に渡り、当地でも重賞を勝つとともにで種牡馬入りし、スパニッシュチェスナット(Spanish Chestnut)という活躍馬を出しました。しかしHorse Chestnutはその後大きな成功を得ることができず、南アフリカに連れ戻されています。
マイク・デコック(Mike De Kock)調教師は南アフリカの他に、ドバイやイギリスのニューマーケットに厩舎を構えており、Mike De Kock調教師が管理する南アフリカの競走馬が国外のレースに出走するケースが目立っていますし、国外に遠征するに際して経験と実績が豊富なMike De Kock厩舎に移籍して行うというケースもあります。その一方、Mike De Kock調教師の管理であればどれもが南アフリカ馬という認識も見受けられますので、戦歴のチェックぐらいはしてください。

A certain induction, my case

南アフリカの競走馬ということで言えば、私が最初に名前を聞いたのは、厳密にはジンバブエ産馬ですが、ドバイに遠征してきたイピトンビ(Ipi Tombe)でした。その翌年にドバイに遠征したナショナルカレンシー(National Currency)がドバイで急死したというニュースに驚いたことを憶えています。この頃はまだ南アフリカで開催されているレースそのものに興味を持つことはありませんでした。次に名を知った南アフリカ産馬はクリムゾンパレス(Crimson Palace)とHorse Chestnutになります。Crimson Palaceは北米に移籍して芝牝馬路線で走っていたので、当時北米芝牝馬路線が大好きだった私の認識圏内でした。Horse Chestnutは競走馬としてではなく種牡馬で、ちょうどこの頃初年度産駒が走っていたと記憶しています。
ようやく南アフリカの競走馬として認識するのがエルーシヴフォート(Elusive Fort)です。海外競馬を扱ったサラブレのムックで南アフリカダービー(South African Derby)の勝ち馬として紹介されており、南アフリカのレースを認識したのはこの時が初めてでした。だからこそ、前掲の「競馬血統入門」が同じくエンターブレインから刊行されたムックであるにもかかわらず、ほぼ同じようにサラブレのテイストを持つにもかかわらず、南アフリカ競馬の扱いが悪いことに不満を持ってしまうのです。
一般的には2007年にオーストラリア産のフジキセキ産駒Sun Classiqueが南アフリカの3歳チャンピオンに選出されて一部の注目を集めましたがそこから広がるものではなく、現地でのポケットパワー(Pocket Power)の活躍も知る人ぞ知るというレベルに止まっていました。アドマイヤメイン種牡馬として南アフリカに輸出されたことをどれだけの人が憶えているでしょうか。彼を購入したサマーヒルスタッド(Summerhill Stud)はリーディングブリーダーを何度も獲得する南アフリカ最大手の生産者で、積極的に北半球から種牡馬を導入しています。

次回予告

次からが本編。
アドマイヤメイン南アフリカでの初年度産駒は今シーズンが2歳ですでにデビューし、先日初勝利をあげています。今後、南アフリカ競馬に興味を持つ人が出てくるならばこれ幸いということで軽く紹介をしてみようと考えています。
まずは、全体的なシステムと競馬場の紹介あたり。