Jockey Club Gold Cup

1919年に創設され、2年目にはMan O'Warによって12Fのレコードが打ち立てられています。以後は東海岸のみならず北米最強馬を決めるレースとして君臨し、Kelsoの5連覇を始めとして北米競馬の歴史に立ち会ってきました。BC創設以降、そのプレップの一つ程度の扱いにされた挙げ句、このところはレース間隔が詰まるからとスキップされたりとちょっと軽んじられすぎているようには思いますが…
SeaBirdさんのところでこのレースを過去に連覇した馬の一覧が出ています。

Mad Hatter
Dark Secret
Nashua
Kelso
Shuvee
Slew o’Gold
Creme Fraiche
Skip Away

http://d.hatena.ne.jp/SeaBird/20080927/p2

今回ここにCurlinの名が加わるということで。
とはいえ、このリストを見て目が行ってしまうのはこっち。

Shuvee
Slew o’Gold
Creme Fraiche

分かる人だけ分かればいいよ。

ESCUTCHEON 1927 by Sir Gallahad

BOURTAI 1942 by Stimulus
LEVEE 1953 by Hill Prince
SHUVEE 1966 by Nashua
BAYOU 1954 by Hill Prince
ALLUVIAL 1969 by Buckpasser
SLEW O'GOLD 1980 by Seattle Slew
STRANGE DEVICE 1938 by Stimulus
MOST LIKELY 1953 by Heliopolis
LIKELY SWAP 1962 by Swaps
LIKELY EXCHANGE 1974 by Terrible Tiger
CREME FRAICHE 1982 by Rich Cream

ま、そういうわけで。
そもそもこのレースを勝った牝馬はShuveeただ一人。それが父Nashuaとともに連覇という辺り非凡過ぎます。Shuveeにとっては母父に当たるHill Princeもこのレースの勝ち馬に名を連ねていますし、更にその父Princequilloも勝っているように、何かとこのレースに縁のある血統です。なおHill PrinceはCounterpointにアタマ差で連覇を阻止されています。Shuveeの頃はまだ16Fという長距離で行われています。創設から最初の2年間は12Fで行われていて、何を思って16Fという距離設定にしたのかは知りませんが、その距離を以てプレステージ性を高めていたというのはあるのかも。
Slew o'GoldとCreme Fraicheの時代は12F。Slew o'Goldの2年目がBCの創設年です。
Creme Fraicheなんかは直系としては滅びゆく北米Hyperion系の残照っぽいものがありますかね。父Rich CreamはNasrullahの影響が強いスプリンターでしたが、ある意味Hyperionまみれな母の血統の影響を受けて距離をこなしたっぽく。今までのところ唯一のセン馬としてのBelmont S勝ちであり、変わったところではTropical Park Hを同一年に2度勝つという記録も持っていますが、20年前に獲得賞金が400万ドルを超えているんだから破格な馬だったんだなと今更ながらに思います。そしてJohn Henryの偉大さを改めて思うことにもなるのですが。
その後Easy Goerのときまでが12Fで、以後10F。それでもCigarやSkippyの頃までは最重要のBCプレップではあったはず。Mineshaftにしてもこのレースを勝ってBCに出ず引退を選んでいるわけだし。ただ、その翌年からFunny Cide、Borregoとこのレースを勝った馬が惨敗し、スキップしたGhostzapperSaint Liamが勝っていますし、BernardiniにしてもInvasorに負けたというのが印象悪いか。
去年のCurlinはSkippy以来10年振りにJockey Club Gold CupからBC Classicを勝った馬であったわけです。今年もダートでのレースでは隙を見せていないし、負けるとしたらSanta AnitaのPro-Ride馬場への適応というあたりなんだろうなと。そうした場合にシンセトラックに対する評価がどうなるかってのは注目したいなと思うところですが。