He was gone...

Gone West逝く。
Major Sire Gone West Euthanized | BloodHorse.com
今シーズンから種牡馬を引退して余生を過ごしていたGone West疝痛に因る手術後の合併症により9/7の夜に安楽死処置が執られたとのこと。
一時は自身の種付け料が15万ドルに達し、北米のMr. Prospector系を代表する種牡馬でした。その直仔から98頭のステークス馬を出し、更に自身の後継者によってMr. Prospectorの分枝のうちでも大きな発展を見せています。
1984年は北米産の当たり年でGulchAlyshebaCryptoclearanceJava Gold、Afleet、Lost Code、Polish Navyなどが出ています。Mr. ProspectorGone WestGulchAfleetを出したこの1984年に続いて、1985年にはSeeking the GoldForty Ninerを出すわけで最も乗っている時期でした。Gone Westの競走馬としてのハイライトは当時GI格を有していたDwyer Sを12馬身差で圧勝したことです。3歳のシーズン終了後に引退し、種牡馬としては現役時以上の成功を収めました。
初期にZafonicを出したように芝をこなし、ダートでのスピードも優れていたという印象はあります。それ以上に後継種牡馬として各地で成功する種牡馬を出し、一大勢力を築いています。ただ、今でも北米では人気がやや過剰という印象は持ちますが。あと、牝馬の活躍馬をとっさに思いつけん。
Stallion Registerの集計だと産駒獲得賞金上位10頭は順にDa Hoss、ザフォリア、Came Home、Marsh Side、メジャーカフェ、Johar、ビクトリーテツニー、Lassigny、Speightstown、West By West。割と日本でも走っている。
Gone Westの主な産駒でも。

West By West

初年度産駒から出たGI馬。種牡馬となり南米にもシャトルされていた。現在はトルコジョッキークラブに購入され、トルコで種牡馬生活を送っている。

Zafonic

欧州で活躍し、Kingmambo、Baratheaを抑えて2歳王者となった。英2000ギニー馬。種牡馬としてもXaarを出して成功し、日本でもザカリヤやルゼルが活躍した。パドックでの事故でシャトル先のオーストラリアにて客死。12歳だった。
全弟のZamindarも種牡馬となっており、Darjina、Zarkavaと近年産駒のフランスでの活躍がめざましい。

Royal Abjar

Zafonicに次いで現れた欧州での活躍馬。こっちの舞台はドイツ。種牡馬入りし、現在はトルコに渡っている。

Mr. Greeley

何故か種牡馬として評価が高い。El CorredorやFinsceal Beoを出している。

Western Winter

南アフリカ種牡馬入りして成功。近年の南アフリカを代表する種牡馬の1頭でWinter SolsticeやYard-Armを出している。

Elusive Quality

レコードを2回記録した快速馬。種牡馬入りして2年目の産駒から二冠馬Smarty Jonesが登場して評価を高めた。そしてRaven's Pass、Quality Roadが出にいたり本格的におかしな事になりつつあるようにも見える。

Grand Slam

Ashford Studの方針からか異様に産駒数が多い。代表産駒はBC SprintのCajun Beatや日本で走ったカフェオリンポスなど。

Commendable

Belmont Sを勝ったが、その後Fusaichi Pegasus共々Tiznowに世代最強の座を奪われる。父の後継となるべくMill Ridgeで種牡馬入りしたが芳しくなく韓国に輸出された。

Speightstown

怪我などの影響もあったが全盛期が6歳という異色のスプリンター。種牡馬としては何故かフランスでGIを勝っている。

Came Home

早熟の天才だったが、肝心なレースで大負けしていた。現在は日本で種牡馬

Johar

母がWindsharpという血統馬。BC TurfでHigh Chaparralとデッドヒートを演じた。Mill Ridgeで種牡馬となっている。血統構成はGone West後継種牡馬中トップクラスだが、今のところそれを活かし切れていないようだ。

Proud Citizen

初年度からProud Spellという大物を得たがその後が続いていない。

Marsh Side

カナダの芝で活躍。今年も現役を続けている。

Southwestern Heat

かのXtra Heatの初仔。ステークスを勝つところまでしか行けなかったが、オーストラリアのサイアーリストで見かけた。

Da Hoss

BC Mileを2勝。4歳で出走した初めてのBC Mileでは当時3歳のSpinning Worldを抑えての勝利。常に脚の問題を抱え、4歳でBCを勝った後は2年近く出走出来ず、Allowanceを一つ使って6歳のBCに間に合わせた。