2022年のSadler's Wells父系

今回はGalileo以外のSadler's Wells父系の現状です。まあ、こんなことをやっているから無駄に時間がかかるというものですが、すでにSadler's Wells産駒はノスタルジーの領域にあることを確認させられてしまいました。全ての内容に私の把握するところではという留保を付けます。1990年代のこととなるともうリアルタイムの把握などできていませんし、今から振り返ったところで限界があるのです。あくまで今年のG1勝ち馬を紹介しつつということで。

Montjeu 1996 ライン(BMS: Top Ville→High Top→Derring-Do→Darius)

Tavistock 2005(BMS: Quest For Fame→Rainbow QuestBlushing GroomRed God
Tarzino 2012(BMS: Zabeel→Sir Tristram→Sir IvorSir Gaylord
  • Gypsy Goddess(オーストラリア)
  • Jungle Magnate(オーストラリア)
Camelot 2009(BMS: KingmamboMr. ProspectorRaise A NativeNative Dancer

Galileoと並ぶSadler's Wellsの代表産駒Montjeuは仏愛ダービー凱旋門賞キングジョージといったクラシックディスタンスの大レースを含めてG1を6勝して引退した。種牡馬としても多くの活躍馬を出し、初年度産駒のMotivatorHurricane Run、Scorpionが3歳で大活躍したが、その後はGalileoの存在も影響して質を落としていた。

後継種牡馬は軒並みうまくいかなかったと評することになる。エリザベス女王に請われてRoyal Studに入ったMotivatorは活躍馬を出せずにフランスに移ったあとに、Royal Stud時代の置き土産としてTreveが活躍を見せるもそれだけにとどまった。Hurricane Runは父の後継としてCoolmore Studに入ったが大成せずドイツに送られ、当地で若くして亡くなった。Coolmore時代の産駒としてのちにEctotがG1を勝って種牡馬入りしている。ステイヤータイプの戦績を残していたScorpionは引退後National Hunt Sireとなった。ダービー馬AuthorizedはGodolphinの元で種牡馬となり、時折G1に届く産駒が出ていたが、2020年にトルコに売却される結果となった。最後に残したSantiagoはIrish Derbyを勝ったが、ステイヤータイプで引退後はNational Hunt Sireとなっている。父子でダービーを勝ったPour MoiとWings Of Eaglesも今ではどちらもNational Hunt Sireである。

シャトル先のニュージーランドではTavistockが直系をつないだが活躍馬はことごとく騙馬か牝馬といった状態で、何とかTarzinoが後継となれただけでも良かったというべき状況である。オーストラリアにも進出しているが、勝ったG1はアデレードブリスベンの開催であり、内容はそこまでよいと言えない。

欧州平地用の種牡馬として気を吐いているCamelotは今年の3歳でSammarcoを得た。Sammarcoはアイルランド産馬ではあるが、ドイツの16号族Sラインの出自でオーナーはSoldier Hollowを所有したGestut Park Wiedingenであり、種牡馬入りはほぼ決まりだろう。そして同じく今年の3歳でそのデビュー以来大器と期待されたLuxembourgは2000 Guineasで頓挫があったものの秋に復帰し、Irish Champion Sを勝ってその能力を示している。

In The Wings 1986 ライン(BMS: Shirley HeightsMill ReefNever BendNasrullah)

Adlerflug 2004(BMS: Last TycoonTry My BestNorthern DancerNearctic
Pastorius 2009(BMS: Monsun→Konigsstuhl→Dschingis Khan→Tamerlane)

Salder's Wellsの初年度産駒でBreeders' Cup Turf等を勝って最高の実績を持つIn The Wings種牡馬入りしてすぐにSingspiel、Winged Loveを得る成功を収め、Sadler's Wells父系を拡大する役割を担った。

近年はAdlerflugとSoldier Hollowがドイツを地盤として活躍馬を出していたが、Adlerflugは昨年亡くなり、Soldier Hollowも高齢の域に入っている。

AdlerflugはAlenquer、Mendocinoの他にも現役に凱旋門賞馬Torquator Tassoを有している。またItoやIquitosが種牡馬入りしたのでしばらくドイツでラインを保ちそうである。In SwoopはCoolmoreで種牡馬入りしたが、National Hunt Sireのカテゴリーとなっている。

Soldier HollowはPastoriusやDschingis Secretが種牡馬入りしている。

Singspielは父と同様、モハメド殿下のオーナーシップで世界的な活躍を見せて種牡馬入りした。種牡馬としても成功をおさめたが、活躍馬に牝馬が多いことと最後の活躍馬Solowが騙馬であったこともあり後継種牡馬に苦しんでおり、LohengrinがなんとかLogotypeを出して次代につないでいるのと南アフリカにLateralとPotala Palaceがいる程度である。なお、Logotypeは初年度にラブリイユアアイズを得たが、その他は勝ち上がりに苦労している。

High Chaparral 1999 ライン(BMS: DarshaanShirley HeightsMill ReefNever Bend)

Toronado 2010(BMS: Grand SlamGone WestMr. ProspectorRaise A Native
  • Shelby Sixtysix(オーストラリア)
  • Tribhuvan(アメリカ)
So You Think 2006(BMS: Tights→NijinskyNorthern DancerNearctic
  • Think It Over(オーストラリア)
  • Knights Order(オーストラリア)
  • Nimalee(オーストラリア)

Galileoに続いて翌年に英愛ダービーを制覇したHigh Chaparralはその後凱旋門賞こそ勝てなかったもののBreeders' Cup Turfを連覇するなど、GalileoMontjeuに次ぐ現役実績でCoolmore Studで種牡馬入りしていた。彼は15歳の若さで亡くなり、北半球では大物を得られずマイラーとして上質であったToronadoが目立つ程度である。

ニュージーランドのWindsor Park StudにシャトルされたことがHigh Chaparralにとっての幸運で、当地で得た代表産駒であるSo You ThinkやDundeelを中心に勢力を確保している。So You ThinkやDundeelはオーストラリアで種牡馬入りしているが、ニュージーランドで非常に人気が高く、多くの後継がニュージーランド種牡馬入りして結果を出しており、しばらくオセアニアの中距離に残っていくだろう。

北半球産馬ではToronadoやRedwoodが後継種牡馬として結果を出しているが、Redwoodはニュージーランド種牡馬入りしているし、Toronadoもシャトルされた。

El Prado 1989 ライン(BMS: Sir IvorSir Gaylord→Turn-To→Royal Charger)

El Prado Rob 2001(BMS: Seeking The GoldMr. ProspectorRaise A NativeNative Dancer
Medaglia D'Oro 1999(BMS: Bailjumper→Damascus→Sword Dancer→Sunglow)
  • Golden Sixty(香港)
Violence 2010(BMS: Gone WestMr. ProspectorRaise A NativeNative Dancer

今年のG1勝ちとしてはパッとしない。

El Pradoは2歳のIrish National Sを勝っているが、3歳では活躍できず、引退するとアメリカのAirdrie Studで種牡馬入りした。Sadler's Wells父系として初めて北米を拠点とした種牡馬であり、このことから北米で実績を残す父系となっている。後継の二枚看板はMedaglia D'OroとKitten's Joyだが、この他にもBorregoやArtie Schillerなど多くの後継種牡馬を得た。

オーナーブリーダーRamsey夫妻に愛されたKitten's Joyは先日亡くなったが、北米の芝で支配力が高くRamsey夫妻の重用もあってリーディングサイアーを獲得するほどの活躍を見せた。後年には欧州芝でも産駒が活躍したが、後継として期待された欧州年度代表馬Roaring Lionを種牡馬入り初年度にシャトル先のニュージーランドで失ったので、現状はKamekoに期待がかかる。

初年度産駒からRachel Alexandraを出したMedaglia D'Oroは依然として健在でコンスタントにG1馬を出している。近年では香港最強馬のGolden Sixtyの父である。その後継Violenceはスプリント寄りの種牡馬として実績を積みつつある。

Artie schillerは芝向きの種牡馬でオーストラリアにシャトルされていたが、のちに完全輸出に切り替わった。オーストラリアでFlying Artieが後継種牡馬となっている。

Fort Wood 1990 ライン(BMS: Pretense→Endeavour→British Empire→Colombo)

Elusive Fort 2002(BMS: Secret Prospector→Mr. ProspectorRaise A NativeNative Dancer

Fort Woodは名繁殖Fall Aspenの子でモハメド殿下の所有馬としてGrand Prix De Parisを勝った。南アフリカの名門Mauritzfountain StudのBriged Oppenheimerに購入されて当地で種牡馬入りし、南アフリカ史上に残る名馬Horse Chestnutの父となった。Horse Chestnutは北米に移籍して期待されたものの怪我で引退すると、そのままケンタッキーで種牡馬入りした。のちに南アフリカに戻っているが、後継種牡馬を得ることはできなかった。

Fort Wood父系は南アフリカに土着し、最良の後継者であったDynastyをすでに失っているが、DynastyはAct Of Warを後継として残した。またアルゼンチンの名牝系に連なるダービー馬Elusive FortはKommetdiedingを出したので次代を残しそうである。

その他のSadler's Wells父系

Scenic 1986(BMS: Foolish Preasure→What A Pleasure→Bold RulerNasrullah

ScenicはSadler's Wellsの初年度産駒G1馬の一角で、Dewhurst Sを同父のPrince Of Danceとのデッドヒートで分け合った。これがSadler's Wellsの種牡馬としての初めてのG1勝ちである。4歳のPrince Of Wales's Sを最後に引退するとすぐにオーストラリアに渡って種牡馬入りした。翌年にはアイルランドに戻りオーストラリアとのシャトルサイアーとなったが、種牡馬実績はシャトル先のオーストラリアで優れており、しばらくするとオーストラリアから戻されることはなくなった。初年度からVictoria Derbyを勝つBlevicを出し、のちにはMelbourne Cupを勝ったViewedや北米に遠征したScenic Blastが出るなど長く活躍馬を送り出した。

Blevicは後継種牡馬となりBlevvoというG1馬を出したが、南オーストラリア供用で牡馬はほぼ去勢される環境で後継を得られなかった。同じくUniversal Princeも種牡馬入りしているが、こちらは西オーストラリアでの供用でBlevic同様に自身の後継種牡馬は得られなかった。

Old Vic 1986(BMS: Derring-Do→Darius→Dante→Nearco

Sadler's Wellsの初年度産駒にしてフランスとアイルランドのダービーを圧勝して父の声望を高めた。3歳時はIrish Derbyを最後に出走できなかったが、同年のレーティングでマイラーのZilzalと並ぶトップの評価を受け、4歳では4戦して未勝利ながらキングジョージでBelmezと接戦を演じて古馬のレートトップを獲得している。

種牡馬入り後はそのプロフィールに比して恵まれたとは言い難く、日本で2年間種付けを行うこともしたが、目立った成果は得られなかった。ただしそれは平地競走に限った見方であり、日本から帰国した後National Hunt Sireとなって活躍馬を得た。Grand NationalやCheltnam Gold Cupの勝ち馬を輩出し、National Hunt Leadingを獲得するほどであった。その代表産駒としてKicking KingやDon't Push It、Our Vicの名を挙げることができる。

Victory Dance 1986(BMS: Sassafras→Sheshoon→Precipitation→Hurry On)

Victory DanceはSadler's Wellsの初年度産駒である。現役実績は未勝利戦で勝っただけだが、ニュージーランド種牡馬入りした。Victory SmileやCinder Belleの父である。

Dolpour 1986(BMS: Kashmir→Tudor Melody→Tudor MinstrelOwen Tudor

Dolpourは半兄にDoyounを持つSadler's Wellsの初年度産駒で、Aga Khan殿下の生産馬である。勝ち上がりが3歳の5月と遅くクラシック路線には乗れなかったが、Champion Sで2着という実績を持っている。古馬になってG3のGordon Richards Sを勝つがその後は勝てないまま5歳まで走って引退した。引退後は南アフリカ種牡馬入りし、代表産駒にSpeedy DollarやInglesideがいる。のちにフランスに買い戻され、最後はイギリスでNational Hunt用の種牡馬をしていたようである。

Accordion 1986(BMS: Successor→Bold RulerNasrullahNearco

AccordionはSadler's Wellsの初年度産駒で未出走で種牡馬入りした。産駒は障害競走で活躍し、リーディングサイアーとなるほどであった。平地競馬ではYavana's Paceが10歳にしてG1を勝つという記録を持っている。

Baligh 1987(BMS: Middle Brother→Hill Prince→Princequillo→Prince Rose)

Sadler's Wellsの2年目産駒で現役実績としてはRacing Post Trophyの2着がある程度。引退後はブラジルで種牡馬入りし、Straight Flushを出した。

Straight FlushはG1 Grande Premio Sao PauloとGrande Premio Brasilの勝ち馬で、その後北米に移籍したがうまくいかなかった。引退後はアリゾナ種牡馬となったとされ、The Jockey ClubのBreeding Statisticsでは産駒を1頭(Mikey'stexasholdem)のみ確認できる。

Stagecraft 1987(BMS: Bellypha→LyphardNorthern DancerNearctic

StagecraftはSadler's Wellsの2年目産駒で2歳の勝ち上がりから4連勝で当時G2のPrince Of Wales's Sを勝った。続いて出走したEclipse Sは2着で、以後中距離のG1に出走するも成績を落としChampion Sの7着で3歳のキャリアを終えた。翌年は北米に移籍し5歳まで現役を続けたG2を2勝しているが、G1の舞台に戻ってくることはなかった。

引退後はチリのHaras Don Albertoで種牡馬となり、Noches De Rosaを出した。

Opera House 1988(BMS: High Top→Derring-Do→Darius→Dante)

Sadler's Wellsの3年目産駒で、モハメド殿下の持ち馬として現役生活を送る。デビュー戦を圧勝したが、その後一頓挫があって3歳シーズンを棒に振った。古馬になって本格化し、全盛期の5歳ではCoronation Cup、Eclipse S、キングジョージとG1を3連勝しているが、凱旋門賞ではUrban Seaの前に3着に敗れている。それでも欧州古馬王者に選出され、日本で種牡馬入りした。

オペラハウスは2年目産駒からテイエムオペラオーが登場し、その後もメイショウサムソンを得たため種付け頭数には恵まれていたと言える。障害競走に強い産駒が多く、スプリングゲントマジェスティバイオでJG1を制している。

テイエムオペラオーメイショウサムソン種牡馬入りしたが、テイエムオペラオーは中央の平地競走では重賞を勝てず、メイショウサムソンも数頭が重賞を勝つにとどまっている。

Opera Houseの全弟Kayf Taraは欧州で長くステイヤーとして活躍し、引退後はNational Hunt Sireとしても活躍した。

Saddlers' Hall 1988(BMS: Val De Loir→Vieux Manoir→Brantome→Blandford

Saddlers' Hallはウェインストック卿の生産馬で、St. Legerで2着し、Coronation Cup勝ちがある。引退するとCheveley Parkで種牡馬入りするとステイヤーのSilver PatriarchやEndless Hallを出した。

Imperial Ballet 1989(BMS: Bold LadBold RulerNasrullahNearco

1989年生まれのImperial Balletは重賞出走経験のないハンデキャップホースのまま引退した。ヴェネズエラで種牡馬入りしていたが、ケンタッキー、アイルランド、イタリアと渡り歩いた。Sadler's Wells後継種牡馬としては短距離に寄った成績を残し、ケンタッキー時代に出したスプリンターのImperial Beautyが代表産駒である。

Sonus 1989(BMS: Successor→Bold RulerNasrullahNearco

SonusはAccordionの全弟である。St. LegerではUser Friendlyの戴冠を見届ける2着に入っており、またGoodwood Cupを勝利したステイヤーである。

アルゼンチンに輸出されて種牡馬となっていたが、のちにアイルランドに買い戻されている。南米でTuozzo、Hot Commodity、Safari Girlを出した。

Barathea 1990(BMS: HabitatSir Gaylord→Turn-To→Royal Charger)

BaratheaはIrish 2000 GuineasやBCマイルを勝ったマイラーである。3歳では同期のZafonicKingmamboと比較して一段落ちる実績だったが、4歳でも現役に残るとチャーチルダウンズで開催されたBCマイルでは芝マイルのコースレコードを出して圧勝し、欧州年度代表馬に選出された。引退後は母Brocadeという良血もあって人気の種牡馬で、短距離に適性を示した。

その筆頭が無敗で2歳王者になったTobouggである。Tobouggは4歳までの現役期間で3歳以降勝ちを得ることができなかったが、Derbyでは3着に入っており、その後は中距離路線で活躍した。種牡馬入りするとオーストラリアにもシャトルされたが、G1勝ちはNZ 2000 GuineasのThe Pookaのみにとどまった。

Carnegie 1991(BMS: RivermanNever BendNasrullahNearco

凱旋門賞馬Detroitを母として産まれたCarnegieはクラシックレースには間に合わなかったものの、3歳の夏場から本格化して4連勝で一気に凱旋門賞まで勝利した。これは凱旋門賞史上初の母子制覇であり、その後Urban SeaSea The Starsの例があるのみである。4歳になっても現役を続行するが、G1勝ちはGrand Prix De Saint-Cloudのみであった。

引退後に日本で種牡馬入りし、ニュージーランドシャトルされた。日本ではG1に届かなかったが、オーストラリアでG1馬を出し、のちにオーストラリアに完全輸出となった。

King's Theatre 1991(BMS: Princely Native→Raise A NativeNative Dancer→Polynesian)

King's Theatreはデビュー戦を落とすが、その後3連勝してRacing Post Trophyまで制して2歳を締めくくった。2000 Guineasでは一番人気で出走したが惨敗して評価を急落させているが、その後Derbyの2着で取り戻している。Irish Derbyも2着だったが、そこから向かったキングジョージを勝つも凱旋門賞は直線で沈んで10着と安定しなかった。4歳ではアメリカで走るも勝てず翌年は欧州に戻っている。5歳で引退し、アイルランドのBallylinch Studに種牡馬入りした。

代表産駒のKing's Dramaはフランスでデビューしたがクラシック路線には乗れず、G3を勝った後に北米に移籍した。北米では長く芝重賞路線で活躍し、Sword Dancer Invitational Sを勝っている。

Poliglote 1992(BMS: Val De L'Orne→Val De Loir→Vieux Manoir→Brantome)

Poligloteはフランスで現役生活を送り2歳では3連勝でG1のCriterium De Saint-Cloudを勝つ活躍を見せた。フランスダービーでは2着に入るが、このころがピークでその後の戦績は振るわずEvryのG2勝ちがある程度。国外遠征も試みられているが結果はさっぱりなものであった。5歳の春にはアメリカ西海岸に遠征し、当時はまだG1格を維持していた芝長距離戦San Juan Capistrano Hにも出走しているが大敗し、その後Hollywoodの一般戦に出走したのが最後のレースとなっている。

種牡馬入りはフランスの名門Haras D'Etrehamであり、アルゼンチンにもシャトルされた。アルゼンチンではHaras Firmamentoに重用され、当地で出したG1馬は全てFirmamentoの手が入ったものである。その産駒はHaras Firmamentoの命名則ではWellsを後置されていた。フランスでは後年にSolemiaが出ただけであったが、そのSolemiaの唯一のG1勝ちがOrfevreを差し切った凱旋門賞であった。

後継種牡馬としてはIrish Wellsを得ており、Haras Firmamentoぽい命名であるがフランス産馬でG2のGrand Prix De Deauvilleを勝ってPrix Ganeyで2着に入った実績を持っていた。

PoligloteはSolemiaが出る前後には障害競走で活躍する産駒が目立っており、その他セルフランセやアングロアラブ、トロッターの種牡馬としても活動していたようである。Solemiaが凱旋門賞を勝った2012年はフランスの平地と障害の双方でリーディングサイアーを獲得した。無論、凱旋門賞の賞金ありきではあるが。

Election Day 1992(BMS: DarshaanShirley HeightsMill ReefNever Bend

Election Dayはステイヤーとして活躍し、Listed勝ちまでだが、Gold Cupで3着に入った実績も持っていた。

種牡馬としてはコロンビア、チリ、メキシコを渡り歩き、メキシコで亡くなった。パート1級はチリだけだが、Haras Santa Olgaに使われ、チリの年度代表馬Feliz De La Vidaなどを出した。Feliz De La Vidaが後継種牡馬となっている。

Song Of Tara 1992(BMS: Artaius→Round TablePrincequillo→Prince Rose)

Song Of TaraはSalsabilの全弟である。3歳になってデビューし2連勝したが、重賞には縁のないまま引退した。オーストラリアで種牡馬入りすると、ステイヤー種牡馬として名をはせた。その到達点がSydney Cupを勝ったNo Wine No Songである。

Dushyantor 1993(BMS: Roberto→Hail To Reason→Turn-To→Royal Charger)

Dushyantorは母がSlightly Dangerousの良血で、Juddmonte生産、Abdullah殿下所有、Cecil厩舎所属という非の打ち所がないプロフィールであった。デビューから2連勝するとDante Sの2着から向かったDerbyでは一番人気に支持されるも伏兵Shaamitに敗れて2着、その後Irish Derby、St. Legerにも出走しいずれも一番人気に支持されたが勝ちきれなかった。古馬になってもG1では勝てず、5歳ではアメリカのFrankel厩舎に転厩しているが、ついにG1タイトルに届かないまま引退した。

引退後アイルランドのRathbarry Studで種牡馬入りし、チリのHaras Matancillaにシャトルされる。アイルランドでは主に障害競走用の種牡馬であったが、チリではリーディングサイアーを獲得する程の活躍を見せた。その代表産駒にMatancillaで生産されたBelle Watlingがいる。

Astor Place 1993(BMS: Bold Arian→Noble Jay→Double Jay→Balladier)

Astor Placeは1993年生まれで現役時7戦2勝、引退するとブラジルに渡って種牡馬となった。産駒ではBe Be KingとUigurがG1馬となっている。

Casey Tibbs 1994(BMS: Mill ReefNever BendNasrullahNearco

Casey TibbsはアイルランドのD.K. Weld厩舎所属でデビューした。アーリントンのSecretariat Sで2着となって北米に転厩したが、リステッド勝ちまでで重賞を勝てないまま引退した。引退後に南アフリカのHigh Season Studで種牡馬入りした。

代表産駒はCape DerbyやDurban JulyなどG1を4勝したBig City Lifeだが、彼は2011年のDurban Julyで6着で入線後に骨折のため予後不良となっている。その他にはSA Oaksを勝ってG1でも上位だったFestive Occasion、変わり種としてケニアでダービー・オークスダブルを含めクラシック四冠を達成したHappy Timesが出ている。(ところでPedigreequeryではHappy Timesが牡馬で登録されているが、National Horseracing AuthorityのStud Bookにあたったところ牝馬であると確認できたことを添えておく。)

Crimson Tide 1994(BMS: DarshaanShirley HeightsMill ReefNever Bend

Crimson Tideはクラシックへの出走はなく、3歳の秋にドイツとイタリアでG2を勝ったのがピークとなるような戦績であった。7歳まで現役を続けた後でブラジルのHaras Bage Do Sulで種牡馬入りした。

産駒はGavea競馬場で強く、リオデジャネイロの三冠を達成したPlenty Of Kicksがその代表として挙げられる。

Entrepreneur 1994(BMS: Exclusive NativeRaise A NativeNative Dancer→Polynesian)

EntrepreneurはCheveley Park生産、Coolmore所有で2000 Guineasを勝ったが、圧倒的な一番人気に支持されたDerbyは4着に終わっている。戦歴で特筆すべきはそれだけだが、3歳のマイルチャンピオンに選ばれている。

引退後、Coolmoreで種牡馬入りし、ニュージーランドシャトルされるが、のちに日本に輸出された。日本では青森の諏訪牧場に繋養され、種付け料は初年度で60万円であった。わずか3シーズンの供用後にロシアのVoskhod Studに再輸出された。

代表産駒にはIrish Oaksを勝ったVintage Tippleの名を挙げることができるだろう。日本時代はまったく活躍馬が出ず、ロシアでもG1を勝ったGipnotizerやAvetinこそいるが芳しい成績とは言い難い。

Tanaasa 1994(BMS: Mill ReefNever BendNasrullahNearco

Tanaasaはイギリスでデビューするものの目が出ず、1勝を挙げるにとどまった。LingfieldのDerby Trialで2着に入っているが、直後に1年半の休養となるなど順調でなく、4歳の秋に北米に移籍した。北米でも6歳シーズンを全休している。7歳まで走ってチリで種牡馬入りした。初年度産駒からVamos Muchachoが出ているが、その後は続かず産駒数にも恵まれなかった。

King Of Kings 1995(BMS: HabitatSir Gaylord→Turn-To→Royal Charger)

King Of Kingsは当歳時にCoolmoreに購入され、2歳から活躍してNational Sを勝った。3歳のデビューは2000 Guineasとなったが、2歳王者のXaarなどを下して勝利し、Derbyに駒を進めた。しかしDerbyでは大きく離れた最下位に終わり、その後脚部不安のため引退となった。

Coolmoreで種牡馬入りし、オーストラリアにシャトル後、ケンタッキーのAshford Studに移るという慌ただしいキャリアであった。しかし結果が出ずCoolmoreから放出され一時スイスに渡ったあと、南アフリカのSomerset Studに落ち着いた。

代表産駒はオーストラリア時代のKing's ChapelやReigning To Winである。King's Chapelは種牡馬入りし、のちに父の後を追うように南アフリカに渡っている。King Of Kingsは南アフリカで亡くなったが遺された産駒からRonnie's CandyがG1を勝っている。

Beat Hollow 1997(BMS: Dancing BraveLyphardNorthern DancerNearctic

Beat HollowはJuddmonte Farmのオーナーブリードで2歳のデビュー戦を快勝し、3歳初戦も楽に勝って一番人気でDerbyを迎えた。Derbyでは好位からレースを進めたが、直線で行き場を失ってSinndarとSakheeを捕えられず3着に終わった。とはいえ進路を確保してからも伸びは弱く、距離の限界もあったものと思われる。その後、Grand Prix De Parisを勝ったが、病気のため3歳の残りと4歳のシーズンを全休する結果となった。5歳になってRobert Frankel厩舎に移籍すると北米芝の中距離路線でトップホースとなってG1を3勝した。適距離のないBreeders' Cupではマイルに出走した。このレースにはRock Of Gibraltarが出走しており、Beat Hollowはその生涯で唯一一番人気を他馬に譲ることとなった。結果は6着でマイルには向かなかったようである。

母Wemyss Bightの全妹であるHopeはOasis Dreamの母でKingmanの祖母という血統である。

引退後はイギリスでのJuddmonteの拠点であるBanstead Manor Studで種牡馬入りする。産駒のうちG1を勝ったのはPropotional、Wicklow BraveとオーストラリアのBeaten Upである。またG1を勝てなかったがBC Turfで2着になるなど活躍したステイヤーSea Moonがおり、後継種牡馬となっている。

National Hunt Sireとしての実績もあり、2021年にはMinella IndoがCheltenham Gold Cupを勝っている。

Perfect Soul 1998(BMS: SecretariatBold RulerNasrullahNearco

Perfect Soulは4歳になってカナダのWoodbineでデビューするという経歴で、3連勝してG1のNiagara BCHに出走して2着に入っている。経歴としてはこれがピークで、その後はWoodbineを中心とした北米芝の活躍馬といった戦歴だが、G1ではあてにならないという印象である。Niagara BCHはその1年だけがG1格でのちにNorthern Dancer Turf Sと名を改めてG1になっている。

引退後にDarby Dan Farmで種牡馬入りし、2年目の産駒からBC FM Turfを勝ったPerfect Shirlを出したが、後が続かなかった。その他にはChurchill Downs巧者で知られたSeeking The Soulが出ていて、後継種牡馬としてフロリダで活動している。

Sligo Bay 1998(BMS: Halo→Hail To Reason→Turn-To→Royal Charger)

Sligo Bayは母Angelic SongがGlorious Songの全妹という血統に産まれ、Coolmoreの所有でデビューした。Criterium De Saint-Cloudで3着に入っているがそこまでで、3歳になると北米に移籍してG3を勝った。その後、西海岸の芝路線のプレイヤーとなるが、勝ちが遠くG1はHollywood Turf Cupのみであった。

母の血統からカナダとの関係が深いためAdena Springs種牡馬入りした。ケンタッキーでの種牡馬入り初年度こそ100頭を超える繁殖を集めたがすぐに人気を落とし、フロリダからオンタリオへと移っていった。ケンタッキー時代の産駒はBay To BayやBourbon BayなどでG2を勝つにとどまった。オンタリオに移ってからはカナダ産馬限定戦で活躍する産駒も多く、そこからアメリカの重賞戦線にまで出世したのがLexie Louである。彼女は繁殖として日本に輸入されダノンスコーピオンを産んだ。

Black Sam Bellamy 1999(BMS: MiswakiMr. ProspectorRaise A NativeNative Dancer

Black Sam BellamyGalileoの一つ下の全弟である。兄が活躍していたため、2歳のデビュー前から期待されるも初勝利は3歳初戦であった。同年のCoolmore陣営は2歳でエース格となったHawk Wing、クラシック路線を期待されたHigh Chaparralマイラーとして頭角を現すRock Of Gibraltarと多彩であり、実績の劣るBlack Sam BellamyHigh ChaparralやHawk Wingと使い分けられEpsomではなくChantillyに出走している。秋は凱旋門賞High Chaparralのラビットを務めるような使い方をされているが、最後にイタリアでG1を勝っている。

古馬になると少し路線選択に迷いがみられ、10F級のレースに出走したかと思えば20FのGold Cupにも出走している。後半はHigh Chaparralの復帰もありドイツやイタリアのG1に回ることになる。また凱旋門賞はまたもHigh Chaparralのラビットとして出走した。

ドイツのフェールホフ牧場に購入され、当地で種牡馬となった。その後イギリスに移っているが、ドイツ時代に出したEarl Of Tinsdalが唯一のG1馬である。Earl Of Tinsdalもドイツとイタリアで実績を残し、種牡馬入りしている。

Sholokhov 1999(BMS: Lord Gayle→Sir Gaylord→Turn-To→Royal Charger)

Sholokhovは1999年生まれでCoolmoreが所有した。2歳時はメインストリームでHawk Wingに敵わなかったが、シーズンの最後にイタリアに向かいGran CriteriumでG1タイトルを手に入れた。3歳ではぶっつけで2000 Guineasに出走したが惨敗し、最低人気にまで落ちたIrish Derbyで2着に入って驚かせた。続いてEclipse Sも2着に健闘しているが、やはりHigh ChaparralやHawk Wingには及ばなかった。その後は見るべき成績はないまま、古馬になるとGary Tanakaに所有が変わるが1戦したのみで引退となった。

ドイツで種牡馬入りし、Night Magicの父となったことで知られる。また、中欧あたりで産駒がよく走っており、地理的に近いチェコが特に目立っていた。変り種としてはカザフスタンのダービー馬Sunkarがいる。のちにアイルランドに買い戻され、障害用種牡馬として今も活動しているようである。

Refuse To Bend 2000(BMS: GulchMr. ProspectorRaise A NativeNative Dancer

Refuse To BendはMoyglare Studの生産馬で半兄にMedia Puzzleを持つ血統である。Moyglare所有でデビュー戦を快勝すると次走のNational Sも勝ってG1馬となった。2歳はその2戦で切り上げ、3歳はGuineasに向かいデビューからの連勝を4に伸ばして勝利した。この後Derbyに出走し、半兄のMedia Puzzleがステイヤーとして開花していたこともあって一番人気に支持されるも距離が持たずに惨敗した。その後は主にマイラーとして実績を残しているが10FのEclipse Sも勝っている。条件が合わないと箸にも棒にもかからないというレースぶりで戦績は極端であった。また同期にはRussian Rhythm、Soviet Song、Six Perfections、Nebraska Tornadoというマイル路線で鳴らす牝馬が多数おり、大抵負けている。

3歳末にGodolphinに購入され、古馬になってからGodolphin所属で出走し、引退後はそのままアイルランドのKildangan Studで種牡馬入りした。2年目から代表産駒のSarafinaが出るものの産駒成績はパッとしなかった。ブラジルにシャトルに出されるなどしていたが、2012年に12歳の若さでフランスの分場であるHaras Du Logisで急死した。ブラジルでFrissonが種牡馬入りしているようである。

Doyen 2000(BMS: Kris→Sharpen Up→Atan→Native Dancer

Doyenはモハメド殿下の自家生産馬でフランスのFabre厩舎に預けられるもクラシックには間に合わなかった。4歳になるとbin Suroor厩舎に移籍してイギリスに拠点を移すとキングジョージを一番人気で勝利した。続くIrish Champion Sでも一番人気となるが直線で力尽き、その後5歳まで現役を続けるが強さは戻らなかった。

GodolphinのDalham Hallで種牡馬入りし、そこからドイツ、アイルランドと渡り歩き、高齢となった今でも現役の種牡馬である。ドイツ時代にはTurfdonnaがPreis Der Dianaを勝っているが、これが唯一の平地G1勝ちとなっている。ドイツでは平地重賞でも好走する産駒が出ていたが、現在はNational Hunt Sireとしての稼働がメインとなっている。

Powerscourt 2000(BMS: Rainbow QuestBlushing GroomRed GodNasrullah

PowerscourtはJuddmonte Farmの生産馬である。一つ下の半妹がKindであり、Frankelらの伯父にあたる。Coolmoreの所有馬としてデビューすると2歳ではRacing Post Trophyで2着に入った実績を持っている。3歳は調教中の問題で初戦がIrish Derbyとなって敗北し、秋はSt. Legerを目指すも同厩舎のBrian Boruとの使い分けもあってIrish St. Legerに向かって3着となり、G1を勝てないまま3歳シーズンを終えた。4歳になると中距離路線に戻り、初戦のCoronation Cupで久しぶりのG1タイトルを得た。その後は各地の中距離戦をメインに出走し、BC Turfやジャパンカップにも出走しているが、勝利はならなかった。5歳で引退と発表され、Arlington MillionではKitten's Joy以下に快勝し、これが最後のレースとなった。

PowerscourtはそのままアメリカのAshford Studに種牡馬入りし、チリにシャトルされる種牡馬生活であったが、早々にトルコジョッキークラブに売却され種牡馬生活の大半をトルコで過ごすこととなった。種牡馬入り当初は100頭前後の種付けをこなしていたが、産駒デビュー前に急落して売却となったようである。初年度産駒から2歳G1馬を出したが、その後は不振であった。トルコではローカルG1の勝ち馬を出しているが、総じて期待に応えたとは言えない結果であった。

Hinton Wells 2003(BMS: WoodmanMr. ProspectorRaise A NativeNative Dancer

Hinton Wellsは2003年生まれで、Sadler's Wells晩年の産駒である。母Aspen LeavesはTimber Countryの全妹であり、半兄にFort Woodがいる関係からか繁殖入りするとSadler's Wellsを宛がわれている。そのきょうだいも含めて競走馬として大成することはなく、Hinton Wellsは未出走のまま種牡馬としてブラジルに購入された。種牡馬実績としてはHistoria Da ArteがG1を勝ちGrande Premio Dianaで2着に入ったのが目立つ程度。他に重賞馬としてはDengosa Biancaが出ている。

Raise The Flag 2005(BMS: Kahyasi→Ile De Bourbone→NijinskyNorthern Dancer

Raise The Flagは2005年にHasiliを母として生まれた。HasiliはBanks Hillを筆頭にその子から5頭のG1馬を出しているがRaise Tht Flagはそうではなかった。フランスで1戦したのみの未勝利のまま引退し、ニュージーランドのWhite Robe Lodgeで種牡馬入りした。

産駒は古馬になってからの長距離戦を得意としており、その到達点が7歳でSydney Cupを勝ったEtah Jamesである。またもう一頭の重賞馬Broadsideも5歳になってオーストラリアに渡った後に全盛を迎えている。

日本における展開

Sadler's Wellsは日本の競馬には向かないとされ直仔ではサージュウェルズしか重賞を勝っていないが、孫世代は早い段階から活躍している。日本においては母父に入る方が良好な成績になる特徴がある。
まずフサイチコンコルドである。彼は母父にSadler's Wellsを持つが、これは孫世代では相当に早く、オーストラリアのBlevicに次ぐものである。母父Sadler's WellsのG1勝ちとしては世界で初めてであった。続いてかなり特殊な血統上の仕掛けを有するエルコンドルパサーが出ており、シーザリオヘヴンリーロマンスも母父にSadler's Wellsを有する。

直父系からはIn The Wingsの初年度産駒であるSingspielジャパンカップを勝ったのが日本における最初のG1勝ちである。Singspiel種牡馬としても日本に向き、その初年度産駒にローエングリンアサクサデンエンを得ている。そしてローエングリンは惜しくもG1未勝利ながら種牡馬入りすると、G1を3勝するロゴタイプを出している。
Sadler's Wells系の種牡馬は日本にも多彩な顔触れで導入されているが、その中からはオペラハウスがテイエムオペラオーメイショウサムソンという2頭のチャンピオンを出したにとどまっている。
Frankel産駒は初期の活躍馬としてソウルスターリングやモズアスコット出て日本にも向いていることを示した。Frankel自身を連れてくることは叶わなかったが、その全弟のNoble Missionが輸入されている。