南アフリカ競馬: Horse ChestnutとFort Wood

先月、南アフリカ三冠馬Horse Chestnutが亡くなりました。2月20日の朝になって夜のうちに馬房の中で死亡しているところを発見されたようです。検死により死因は心不全であると結論付けられました。これに先立つ1月24日にはその父Fort Woodも心不全によって亡くなっており、南アフリカの競馬界は偉大な親仔を立て続けに失うことになりました。

Fort Wood

Fort Woodは父がSadler's Wells、母がFall Aspenという良血として1990年に産まれました。この世代はSadler's Wellsの5番目の世代に当たり、ちょうど英愛リーディングサイアーを獲得し始めた年に産まれています。母Fall Aspenは現代でも屈指の名門牝系として知られ、Fall Aspen自身がG1を勝っているだけでなく、Fort Woodが産まれた時点で半姉Northern AspenもG1を勝っておりました。Fort Wood自身もG1を勝ちますし、更には半弟になるTimber Country、Bianconiも後にG1を勝ちます。
Fort WoodはSheikh Mohanmedが所有し、フランスのAndre Fabre調教師のもとでデビューすると、現役時代に6戦して3勝という結果を残します。当時2000mで施行されていたG1 Grand Prix De Parisを勝っていますが、Prix du Jockey-ClubではHernandoの10着に敗れています。引退後は南アフリカ競馬界の雄であるOppenheimer夫妻によって輸入されMauritzfontein Stud Farmにおいて種牡馬入りしました。
当時ですでに50年に迫る歴史を持つMauritzfontein Stud Farmでしたが、南アフリカ競馬界における華々しい成果とは裏腹に種牡馬の導入では芳しくなく、牧場には外部の種牡馬に頼る繁殖牝馬が増える境遇に苦しんでいました。こうした状況で英愛リーディングサイアーの直仔かつ名門牝系出身のG1馬の導入に踏み切っているのですから、相当の期待をかけられた南アフリカ入りでした。
Fort Woodはその期待に応え、初年度からHorse Chestnutを含む3頭のG1馬、11頭のステークス馬を出して、当地のトップサイアーの一角としての地位を確実なものとしました。20世紀末から21世紀初頭の南アフリカ生産界でJet Master、Western Winter、Al Mufti、Jallad、National Assemblyらと覇を競っていたことになります。
Fort Wood産駒には比類無きHorse Chestnutの他にもDynasty、Elusive Fort、Hunting Tower、Forest Pathのように3歳で強い産駒が多く出ています。また、現在では母の父としても存在感が大きく、牝馬三冠を達成したCherry On The Topらの母の父となっています。
後継種牡馬となったDynastyはイヤリングセールでは南アフリカ史上最高額で落札されるほどの個体で、Durban Julyを含むG1を4勝し年度代表馬にも選出されています。Maktoum家から破格の購入オファーがあったとも言われてますが、南アフリカから流出することはなく現在は後継種牡馬としても成功し、Irish FlameやLegislate、Beach Beautyの父となっています。

Horse Chestnut

Horse ChestnutはFort Woodの初年度産駒のうちの1頭として産まれました。母はLondon Wallで、Oppenheimer夫妻の自家生産馬です。London Wallは、夫妻が輸入し初めて空路で南アフリカに渡ったWilwynの血を引いています。Wilwynは南アフリカリーディングサイアーにもなっていますし、Mauritzfontein Stud Farmに導入された種牡馬としてはFort Woodが導入されるまで少ない成功例の一頭でした。
Horse ChestnutはOppenheimer夫妻の持ち馬としてMike De Kock調教師に預けられます。3歳となった1998-99シーズンにはCape Guineas、SA Classic、SA Derbyを全て圧勝して南アフリカ三冠馬となりました。南アフリカにおける三冠の概念は時代によって変遷がありますが、ちょうど再編によって誕生したPhumelela社が設定した三冠を初年度で達成したことになります。またCapeのギニー戦を勝った後には古馬相手のJ&B Metをも勝っています。これは1945年のFeltos以来54年ぶりの3歳馬による勝利でした。三冠を達成したSA Derbyが南アフリカにおける彼の最後のレースとなりましたが、同シーズンの年度代表馬の栄誉を獲得しています。南アフリカで通算9戦8勝、2歳で出走したG3のJuvenile Plateで後のG1馬Clifton Kingの3着に終わったのが唯一の敗戦でした。
そして4歳となるHorse Chestnutは最終目標をDubai World Cupに置き、北米に渡りました。北米初戦となるGulfstream ParkのG3 Broward Hを圧勝しますが、Dubai遠征へのプレップとしたDonn Hに向けた調整中に負傷し、そのまま引退となります。
引退後は北米のClaiborne Farmで種牡馬入りし、初年度からG1馬Lucifer's Stoneを出し、2年目にはSpanish ChestnutがKentucky Derby路線に乗って期待されました。一時は種付け頭数が100頭を超えるまで増えましたが、その後が続かず南アフリカに買い戻されてDrakenstein Studに移されたため、北米での種付けは2008年のシーズンを最後としています。南アフリカに戻ってからは少ない産駒の中からDaily News 2000で2着のRake's Chestnutを出すなどしていました。
Horse Chestnutは南アフリカで三冠を達成した時も圧勝ばかりですし、北米の初戦もG3とはいえ圧勝していますから、怪我がなくDonn HからDubai World Cupと駒を進めていたらどんなレースをしただろうかと思います。2000年のDubai World Cupと言えばDubai Millenniumが歴史に残る圧勝を見せたレースですが、南アフリカ史上最強とも称されるHorse Chestnutとの勝負であったらまた違ったものを見せてくれたかもしれません。
種牡馬としてのHorse Chestnutは北米でも十分な数の産駒を得ることができていたと思います。その中でG1馬がLucifer's Stone1頭のみという結果ではClaiborne Farmにいたことを考えると合格ラインを下回ったという評価になっても仕方がありません。Drakenstein Stud FarmではHorse Chestnutの種付け料を25000ランドに設定していましたが、これは南アフリカ種牡馬の種付け料として考えても決して高いとは言えない設定でした。