Cape Derbyの歴史

週末のJ&B Metの枠とかを調べるためにSAHorseracing.comを見に行ったら見つけたので訳してみた。
以下はHISTROY OF THE CAPE DERBY | SAHorseracing.comの訳ですが、適当なので気になる方は原文を参照していただきたく。

現在Cape Derbyと呼んでいるレースは1925年に距離2400mのWestern Province Derbyとして創設された。このレースは南アフリカジョッキークラブから200ポンドの寄贈を受けて総額600ポンドのステークスで行われた。3月7日に開催された第一回のレースには牝馬Deser Bornが勝者として名を残している。それ以降、レースを開催した競馬場は2つ*1であり、距離を変え*2レースが行われてきた。1946年にはCape Of Good Hope Derbyと名を変えている*3。このときはKenilworthの2400mがレース条件であった。1949年にKenilworthに開催が戻ると以降はKenilworthで継続して開催されている。南アフリカ競馬の発展期にあって、国内最高賞金となるレースであった。過去に二度ウマインフルエンザのアウトブレイクによってレースは中止された。1987年はレースがシーズン後半に延期され、このとき勝ったのは後のチャンピオンジョッキーMark Anthonyであった。2004年は完全に中止となった。
第一回こそ牝馬の勝利となったが、Cape Derbyは牝馬にとっては厳しいレースである。過去50年で牝馬の勝利は三度しかない。すなわちGreen Lass、Taima BluffそしてDog Woodである。*4
偉大な種牡馬Asbestosの話をしよう。第17代ダービー卿により生み出されたAsbestosはフランスで競争生活を送り、南アフリカではSyd Garrettの調教の下でStanley Amosとコンビを組み、今日のJ&B MetであるMetropolitan Sを勝った。素晴らしい骨格を持ちアスリートのような競走馬だったといわれている。引退後はBirch兄弟のVogelvlei Stud Farmで種牡馬となり、8世代の産駒から6頭のCape Derby馬を出すという成功を収めている。その中には1949年と1950年にともにRecuperateを母とする全兄弟ConvalesceとRestoreによる連覇が含まれている。Asbestosは一方で気性が激しくVogelvlei Studにいる間に馬丁を殺したことでも有名である。
1947年のリニューアルで国内最高賞金のレースとなり、同年の開催には国王George 6世とその随員が臨席して、勝者MenloにKing's Cupを授与している。Menloの調教師はSyd Garrettで、手綱を取っていたのはStanley Amosであった。このレポートはJean Jaffeeの"They Raced to Win"中でも見ることができる。
現在Cape DerbyはInvestecをスポンサーとし、南アフリカ競馬の祭典となるJ&B MetやDurban Julyに向けた重要な一戦となっている。少なくとも17頭のCape Derby馬がJulyとThe Metのどちらか或いはその両方で勝利している。また、多くの勝ち馬あるいは入着馬が国際的な競争に相応しい能力と判断されて、国外に移籍したり出走したりしている。またKing's Pact、Jerez、Java Head、Yataghan、Over The Air、London News、Prince Florimund、Illustradorなど多くのチャンピオンがこのレースで敗北を味わっている。
過去7年間で5頭の勝ち馬がEquus Awardを授賞している。これはこのレースのレベルが高いことの証である。
このレースの勝ち馬で最初に輸出されたのは1963年のColorado Kingである。彼はDerbyで3歳牝馬として初めてQueen's Plateに出走したMajorcaを下している。Syd Garrettの死後、その甥Syd Laird*5に調教されていたColorado Kingは2Fを残した時点で絶望的な差を詰め、前を行くMajorcaを交わしたのである。また、Colorado Kingはその前のCape Guineasでレコード勝ちを収めている。Colorado Kingは更にJulyも制し、そのときの配当はレース史上最も低いものであった。彼は南アフリカで通算10戦してDel Mar競馬場のトップであったW.R. Hawnに購入されてアメリカに輸出された。その購入価格は15000ドルである。彼はアメリカで12戦し、1964年のHollywood Gold Cupの勝利や、9Fの世界レコードタイ記録を含み6勝を挙げた。
Top GallantとSea Cottageの兄弟は1964年と1966年にそれぞれCape Derbyを勝っている。Top GallantはColorado Kingと同様W.R. Hawnに売却された。Sea CottageはSyd Laird調教師に管理され、南アフリカ競馬の歴史上で最もファンの想像をかき立てた競走馬である。彼は元日のQueen's PlateをCape Derbyへの前哨戦として勝ち、3週間後にGuineas Trialを勝利した。Guineas本戦はスローペースのために敗北したが、1ヶ月後のCape Derbyでは2馬身差で快勝している*6。またSea CottageはDurban Julyの前にブックメイカーに狙撃されて生き延びたことでも有名となっている。
その後もJulyを勝ったMazarin、快速のSword Dancer、JulyでSea Cottageを下して後にその子Stella Maris*7が勝つことによってこのレース史上唯一の親子制覇を成し遂げたJamaican Music*8、Derbyを5馬身差で圧勝して1年経たない間にJulyもMetをも勝ったPoliticianがCape Derbyの勝者として名前を連ねている。3歳馬として初めてMetとCape Derbyを勝ったのは1946年のFeltosである。1979年にはレースの距離が2000mに短縮された。2000mで開催されたDerbyの初の勝者はBold Tropicで、このときは本命視されていたSir Mordauntに8馬身差をつけ、これがこのレースでの最大着差となっている。Bold Tropicは当時の最高額で売却されて北米に渡り、競争生活を続けた。
1996年以前にもCape Derbyは南アフリカ競馬を国際的なレベルに引き上げる役割を担ってきた。そしてLondon Newsは南アフリカ調教馬として国際レースに招待された。London NewsはCape Derbyを3着に終わったが、その後JulyやMetを勝ち、EUとの輸出規約に基づいて輸出*9される最初の競走馬となった。London Newsは長く困難な輸送をクリアしてSha Tinに現れたLondon Newsはオーストラリア、ニュージーランド、日本、イギリス、アラブ首長国連邦から集まったメンバーを相手にレコードを更新して勝利した*10
近年の勝ち馬では過去20年の内で最も速い勝ち時計を記録した2003年のDynastyと2007年の勝者Jay Pegが双璧である。Dynastyは外枠からの発走にもかかわらず3馬身差を付ける勝利であった。彼はDurban Julyにおいても20番枠からの発走をものともせず勝利している。種牡馬となっても活躍は続き、最初の世代から年度代表馬を含む4頭のEquus Award授賞馬を出した。
Jay PegはDynastyに次ぐ2番目に速い勝ち時計を記録している。彼は続くKZN GuineasとDurban Julyを取りこぼすが、輸出されドバイとシンガポールでG1を3勝した。Dubay Duty Freeではレコードを記録し、Singapore Cupを勝ったことで南アフリカから輸出された競走馬として最も有名となった。Timeform Ratingで獲得した126は南アフリカで生産された競走馬として最も高く、また獲得した賞金も南アフリカ生産馬としては最高である。
内陸部を拠点とする種牡馬JalladはAsbestos以外では最も多くの勝ち馬を出した種牡馬である。2001年に勝ったGrande Jetはイギリスに輸出された。2005年の勝者Rabiyaはその後2つのG1を勝ったが、Julyで骨折し命を絶たれた。2008年にはRussian Sageが勝利し、その後アメリカのTeam Valorに寄って購入され、ドバイで出走している。

  • 略史
  • 1925:Western Province Derbyとして創設。
  • 1930:Windlassが勝利。牝馬で3歳の内に4連勝を含む6勝を挙げた。
  • 1939:Taj Mahalが勝利。その後陣営はJohannesburgに遠征してSA Derbyに出走し2着に入っている。後に6Fの-短距離戦で古馬にハンデを与えて勝利した。
  • 1942:Forest FireがAsbestos産駒として初めて勝利。Asbestos産駒は後の5連覇を含み、合計6勝。
  • 1946:レース名をCape Of Good Hope Derbyと改称。Birch兄弟の生産馬が上位を独占した。勝ったFeltosはCapeのGuineasとDerbyを制した最初の馬となった。
  • 1949:開催地がKenilworthとなり以降は全てKenilworthでの開催に固定された。
  • 1950:前年の勝者Convalesceの全弟Restoreが勝利。
  • 1976:2000mに距離が変更された。勝者はGigantic*11
  • 1993:牝馬Vestaの挑戦を退けてEli's TruthがGuineas/Derby doubleを達成。たった4頭しかいなかったEli's Starの初年度産駒の内の1頭だった。
  • 1999:牝馬Dog Woodが勝利したが、このDerbyが彼女にとって最後のレースとなった。
  • 2003:Dynastyが10番枠から過去15年で最速となるタイムで勝利。彼はDurban Julyも20番枠から勝利し年度代表馬に選出された。ドバイから5000万ランドでオファーを受けたがこれを拒絶して種牡馬入りし、2010年には初年度産駒の活躍でEquus Outstanding Sireに選出された。同時に産駒Irish Flameが3歳で年度代表馬に選出された。
  • 2006:Investec Bankがスポンサーとなった。この年1位入線したMoney Bagsは2位降着となり、Floatyourboatが繰り上がっている。Floatyourboatはその後G2 Marchants Sを勝ち、Queen's Plateで偉大な同僚Pocket Powerに次ぐ2着に入ることで自身の能力を証明している。
http://www.sahracing.com/index/contents/news/16338

元記事中で微妙に整合性の取れていないところがあります。南アフリカ競馬の歴史など調べる手がかりもありませんから、元記事の記載優先です。微妙に数字が合ってない気もしますが、そこも含めて書いてあるとおりにしたつもり。
開催時期の変更で今はJ&B Metのアンダーカードの一つになってしまい、記事中にあるようにMetを走ったあとにCape Derbyという臨戦は有り得ず、また今年はRun For ItがMet出走になってますけれども同条件なら3歳馬はCape Derbyに行くよな的な話でちと勿体ないかな。まあ、2月なんぞに開催していたら、その後すぐにTurffonteinのSA Derbyになっちゃうからそれはそれで両方走りたい陣営にとって悩みの種になりそうだけれども。
あと最近の南アフリカ牝馬がやたらと強いので、牝馬が出てきても十分勝負になるでしょう。今年ならEbony Flyerが走っていればと思ったけどいませんし、Emerald Coveは無難にMajorca S出走ですし。

*1:Kenilworthとどこか。明記されていない。

*2:2400mから2000mへの距離短縮。後述。

*3:Thoroughbred Heritageだとこの1946年からCape Derbyの結果として扱っているような感じですね。一方手元の海外競馬完全読本で確認するとWest Province DerbyはCape Guineasに姿を変えたという扱いのように書かれている。

*4:Green Lass:1951年、Taima Bluff:1980年、Dog Wood:1999年。Pedigree Queryを参照すると、1983年のStella Marisが牝馬なのですが、この記事の後段では牡馬として書かれている。筆者のチェックミスなのか不明。南アフリカのことになるとPedigree Queryのデータが間違っている場合もあるので。レース距離もPedigree Queryでは1946年以降2000mで行われたように書かれているので、この記事と合致しない。

*5:Sydney C. Laird調教師。Durban Julyを7勝という記録を持つ。

*6:当時のCape Derbyの開催時期ははCapeのシーズンの締めくくりになる2月。

*7:ここでhis son Stella Marisと書かれている。

*8:Sea Cottage産駒のImpressive Styleも勝ち馬に名があるので唯一の親子制覇ではないような…

*9:当時英国領の香港に遠征。

*10:1997年のQueen Elizabeth II Cupのこと。

*11:本文中1979年の距離変更と一致していない。