FINAL FANTASY III Original Sound Version

ちとブックマーク経由でAnond.hatelabo*1を見ていて思うところあって懐かしいCDを引っ張り出してきた。いや常に机のすぐそこに置いてあるが。
さっきamazonのCDランキングを見たが、本当に唖然とした
ヴォーカルは本当に天与のものだと思うので、そこに努力の有り無しは問わない。そしてヴォーカロイドにそのレベルを期待するかってーとしない。
初音ミクは声質が好みに合わないのでこのCDを買う気にはなれないが、機械の声だからなんなのと。音は機械が作ったが、曲を作った人間はいるわけで。
これまで存在しなかったものへの批判としてテンプレ的に見るべきなのだろう。個人的にはもう一歩進んで完全合成で好きな声質で歌わせられるようなものが出てくると面白いなと思うが。
その後の論旨から歌至上主義的なものを感じるが、そこにはもう違和感しか無いです。これは私がヴォーカルを特別なものと思っていないからではあるんだが。
一方こっちの記事を見て懐かしく思ったのですね。
機械の声で感動する奴は馬鹿だとかいってる奴らの言論は所詮こじつけ
ファミコン時代のゲームのBGMには何とも言えない味があってそれが好きな一方で、フルオケで演奏されたものに感動する。何も不思議なことはありません。そこにあるのは表現手段の違いであって、それが音楽を評価するときの唯一絶対の基準ではないから。
表題に挙げたCDのライナーで植松伸夫がこう書いてる。

ファミコン音楽は、この束縛*2を持ったが為に他の音楽ジャンルには存在し得ない一種独特の音世界を発展させることが出来たのかもしれません。

ファミコン音楽だとFF3以外に当然DQ3DQ4、他ラグランジュポイントなど秀逸ですよ。というかコナミ矩形派倶楽部の曲が好きだった。
音が鳴っているだけでは音楽にならないのであって、その音を以てして音楽を断じてしまう論調ってのはどうにも納得いかないんだよね。

*1:増田って書くと上司になっちゃうのでご勘弁

*2:同ライナーから補足すると電子音3声のみ